海洋散骨

『散骨の歴史』散骨はいつ頃から行われていたの?

散骨の歴史 いつから

日本はいつ頃から散骨が行われていたのでしょうか。
日本の散骨の歴史について解説します。

散骨のルーツ

日本の散骨の歴史は平安時代に遡ります。
承和7年(840年)、淳和(じゅんな)天皇が遺詔として自身の散骨を近臣に命じ、現在の京都にある小塩山から砕かれた骨が山中に撒かれたとされています。

当時、皇族や豪族は権力の象徴として巨大な古墳の墓を作っていました。葬儀や古墳にかかる費用や労力は、財政の逼迫や民の疲弊を招いていたと考えられます。

このような状況を憂い費用を削減する目的で大化2年、薄葬令(646年)が発布されてはいたが、しばらくは古墳造成の流れは続いていました。

異例とも言えるの淳和天皇の散骨は、葬儀の倹約・質素化を体現することで、その後の薄葬の流れを定着させることにもつながっていったと考えられます。

また、埋葬した遺体には鬼が宿ると考えられていたこの時代、火葬して骨を散らすことで鬼になることを避けたとも言われています。

また、日本最古の歌集、万葉集にも散骨の情景を詠んだ歌がいくつか残っており、遺灰を撒く散骨は古くから行われてきたことがうががえます。

 

秋津野の人のかくれば朝撒きし 君が思ほえて嘆きは止まず

(秋津野という地名を人が言葉にすると、朝に骨を撒いた君のことが思い出されて、涙がとまらない)

 

玉梓の妹は玉かも あしひきの 清き山辺(やまへ)に撒けば散りぬる

(愛しいあなたは玉飾りのように、清い山辺に骨を撒いたら散ってしまった)

山林の散骨

日本における散骨の歴史

散骨という葬法は古くは平安時代の頃より行われていました。

今では一般的である、火葬後のお墓への納骨も貴族や皇族などの権力を持った人々の間でのみ行われており、庶民が亡くなれば遺体は山林や海に置かれることもままあったようです。
『葬』という字の由来は草木に死者が覆われた様子から来ていると言われています。
遺体や遺骨を”自然に帰す”ということは身近な出来事だったようです。

江戸時代、仏教の普及と檀家制の導入により墓を作る風習が浸透していきました。
ただ、この当時は豪商や武家などの上流階級の者が個人墓としての墓を建てる場合が多かったようです。

家族が一つの墓に入るということが一般化したのは、明治以降の比較的最近のことです。
戦後の墓地埋葬法や死体遺棄罪の制定によって遺骨は墓や納骨堂に入れないといけない、散骨は違法という解釈がされるようになりました。

日本での散骨が見直され始めたのは1991年「葬送の自由をすすめる会」が行った自然葬の取り組みが挙げられます。
当時、違法と解釈されていた自然葬(散骨)に対して国の見解を求め、非公式ながらも以下の回答を得ています。

「葬送の一つとして節度をもって行われる限り、遺骨遺棄罪には当たらない」

(法務省)

「墓地埋葬法はもともと土葬を問題にしていて、遺灰を海や山にまくといった葬法は想定しておらず、対象外である。だからこの法律は自然葬を禁ずる規定ではない」

(厚生省)

その後、俳優である石原裕次郎や勝新太郎など、多くの著名人・有名人が散骨を実施したこと散骨も一般に広まっていった背景があります。

近年ではニュースや書籍を通して、散骨は自由な葬送の一つとして認知されるようになり、社会的通念の変容と共に葬儀業界でも各地で散骨を実施するようになってるのが現在の状況です。

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